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いりこだし2(ツー) 心と暮らしのブログ

自らの心の障がいと向き合いながら、暮らしや思うことをブログします。

人の痛みや苦しみの実感は、やはり当の本人にしかわからない。

人によっては中には、あえて痛みや苦しみを積極的に好むという余裕充分の方も、いるのかもしれませんが、

正直、素直に私は、痛みや苦しみはつらい方です。

人の痛みや苦しみは、いくらどんなに親しい友人や、恋愛で大好きなパートナーや、親族各人であっても、他人であるため同情や感覚的イメージはできても、真のその度合いや実感というのは、、当の本人にしかわからないと思います。

先日、私の母が単独で転んでけがをしまして、その後私が、車で病院などに送迎や介助をしたりして、なんとか専門の医師への受診ができ処方を受けたりして、そう感じました。

住居は山奥で、バスの本数は1時間に1~2本と少ない方で、病院に行くバスはないため、やはり車(マイカーや、会費を払い会員制民間タクシー)での移動が主である地域です。

最近は少し母のけがは良くなってきましたが、もう母も年ですから、私もできる限りの手伝いをしたり、適切なアドバイスをしてアクシデントをなるべく防ぐ方法を!と思っています。

身体的なげがと痛みだけではありません。心の傷や痛みは人の眼にははっきりとはわかりませんが、なんとなく態度や目力とかで、心のありようがわかるヒントになるかもしれませんが。

人それぞれの人生の歩みや過去の辛い経験、心の傷、心の痛み、苦しみは、やはり身体と同じく、当の本人にしかわからないと思います。人それぞれが、過去の色々な経験や地域的格差による可能性や人の性格とかで、心の状態色々であるなと思うからです。

いままで過去に私は、本の読書内容とかで知ったり、親や学校の教育者からの教育のつもりで「みんな誰もが出来ているのに、なぜ?君、当人、だけ!出来ないんだ!!? そんなはずはない!」と、思い込む。親が。教育者が。そして、出来ない当人だけさらに苦痛を課していく!という現実。

日本人の群集心理的な「赤信号みんなで渡れば怖くない」とか、あるいはいまだに続いている日本の高度成長期の常識というか、枠内というか、レールというか、そこから外れたら許されないとか、人間としてクズ扱い的な、、日本国の社会的な「正社員こそが正しく素晴らしい」とか「人は家族を持ち子孫をつないでいくべき」とか「男は男らしく強くあらねばならない」などといった固定観念的な風潮。

そして、私の住む山奥の住宅群集からにじみ出る無言の圧力感まだまだ強いなと感じます。都会の風潮については、田舎の風潮とは同じではないのかもしれませんが。

来年は、日本国でパラリンピックが開催されるわけですから、ただ単なる祭典だけで終わらせてはならないなと思います。自分さえ良ければいいとか、強いものが勝ちとか、格差の問題も含んで、人の痛みや苦しみは自己責任や甘えや不注意とかで片付けてはいけないと思います。それは、他の動物の世界では充分通用していることかも知れませんが、頭脳や技術が高い人類は、心の障がいを持っている私からみて、もっとそれ以上の知恵を発揮して、格差の問題を解決していただきたいですし、パラリンピックを機に、もっと全ての人に優しい社会になっていただきたいなと思います。政治や制度的な観点からですが。

やはり人の痛みや苦しみの実感は、当の本人にしかわからない!ということをしっかりと各人々が認識した上で、できる限りお互いに助け合ったり、弱い人を助けたり守ったりといった寛容的さが大切なことだなと思います。