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いりこだし2(ツー) 心と暮らしのブログ

自らの心の障がいと向き合いながら、暮らしや思うことをブログします。

「ただそこで生きているだけでいいんだよ。」の言葉に救われます。

最近見ましたテレビや本などで、「ただそこで生きているだけでいいんだよ。」とか、「そのままの君でいていいんだよ。」の言葉に、私としては救われます。

というのも、要領がわるくて頑張りすぎるクセがある私にとって、成果主義や即戦力、効率性重視や、能力価値至上主義の今の日本国のあり様に、もっともっと向上しなければならない!という焦りの思いが今までありましたが、段々と年々年を重ねていくにつれて、前回のブログで記したように、努力だけでなく運もあったりするから。

ここは、素直に、心身の調子を整えて、生活をしていく、という基本を維持しながら、可能な限りそれらにあきらめずに挑んでいこうと、思ってはいます。

私は、過去にも、様々な障がいとともに仕事や就労訓練や、生活をしていっている方々と時に共に助け合って過ごした経験があります。まさに、私を含めてみなさんしっかりと生活しています。他のサポートの方の手助けもありながらであってもです。

他のふつうという人々からの、「かわいそうな人」などといったことは当てはまらないと、私は思います。それは、人は誰でも弱いところもあるし、いずれ年をとり弱っていくのですから。

今、盛んに「人手不足」だと言っていますが、まさに、効率性重視の結果、働きにくい状況やブラック会社パワハラや、卑怯な方法により賃金面で弱い人を貶める仕組みが平気でなされているなと、私も経験しましたからわかりますので、だから、心の傷が大きく感じている私です。

こんな状況で、様々な人々の弱点を無かったかのように、何の対策もせずにズルズルと時が過ぎていけば、やがて日本国全体も弱くなってしまうような気がします。

ですので、「ただそこで生きているだけでいいんだよ。」の言葉の先に、努力に努力を重ねても生きづらいのではなく、共に共済的に生活をサポートでき、少しの努力やそれが今できなくても存在だけで充分に認められるという、生きやすい社会になってほしいなと思います。

考えすぎて脳が疲れたと感じたときは、体を少し動かして疲れ感和らぎ、、

近年の夏と、夏の終わりから秋にかけて、猛暑や残暑と、雷雨と台風で、天気や気候の様々な変化に、私の心と体がなかなかついていけません。私は40代ですが、人はそれぞれで、若くてぜんぜん元気な人もいれば、疲れやすい人もいたり、私より年上の方々でも、元気な方もいれば、時よりそうでない方もいるから、日々完璧に、仕事に、生活に、とはいかないのかもしれませんが。

私は、時に自分がダメ人間なのでは?とやはり自責してしまい、考えすぎてしまうから、前回読んだ、「考えるより、行動を起こして」の本を思い出し、そのクセに気付いてやっていきたいと思います。実践は100%近くできるか自信ありませんが、頑張るつもりです。

ところで、別の本を読んで学んだのが、「考えすぎて脳が疲れたと感じたときは、体を少し動かして疲れ感を和らげる方法を!」とあり、実際に何回か実践をしたところ、それは、当たりました!

最近、体がだるくて疲れたなあー!と感じるとき、あれ?体ほとんど動かしていないのに、なんで体がだるいのかなあー?と思い当たると、あー考えすぎているなー、心配やストレスがあるなー、悩みがあるなー。私の場合、よけいな不安や心配を作って疲れ感なんだなあーと悟り、こういうときに、少し体操やウォーキングをしたりした後、疲れ感やモヤモヤ感が和らぎ、心が少し軽くなりました。

要は、苦しいことはなるべく考えないようにすることで、精神的心理的疲労を抑制できるんだなと、そのためには少し体を動かして脳の労力を和らげるんだなーと。

本のアドバイスは、本の種類や相性にもよりますが、役に立つことがよくあるなーと思います。

 

ライフラインのありがたさを思います。

先日に関東地方を通過した台風のニュースなどを見て、あらためてライフラインのありがたさを思います。いつ、地元でも何らかの災害に遭いライフラインがストップしてしまうか、明日は我が身と思い、できる対策と覚悟をしています。

被災地では、電気や水道、情報通信などが途絶えてしまっている状況の中で、残暑もあり、家の被害もあったりする中で、やはり、一番大切なのは、命を守ることであるから。熱中症やその他の「助け」を求めるときは、「待つ」ことの大切さよりも、素直にすぐに「助けて!」と伝える方がいいと思います。

また、近年は携帯電話が各個人に広まったように、将来は、電気も各個人で作るようになるのかなあ?と、今回の電柱の倒れ方を見て、ふとそう思いました。ライフラインの在り方も、時代や、教訓とかで変わっていくのかなーと思いました。

 

 

「待つ」ことの大切さを、最近思います。

私は、確認行為が強迫不安症の影響で多くなり、他の人々よりも、行動が遅いと思います。そんな中で、近年の高齢化社会により、ゆっくりと歩かれるお年寄りの方々を多く見られるのを確認できます。いわゆる私も、類似したスローライフ、 スローウォーク傾向です。(仮に、ムリに私が健常者になろうと行動を速めれば、よけい症状がひどくなりますから、今の行動の遅さを少しずつ早めていけるかどうかの状況にいる私です。)

また最近は、店でもセルフレジや、それがない場合ではレジがお客で混んでならんでいる場合がよくあります。

そして、機能性、利便性、効率性により、より早く、待つことなく、より便利に、といった雰囲気が増えてきているようにも思います。

でも、確かに、待たずに便利に思うこともありますが、返って他のことでより忙しくなったり、焦ったりしてしまうので、ここは、やはりゆっくりさと冷静さとともに、「待つ」「待ってみる」ことの大切さを、最近思う私です。

例えば、バスの乗車や降車のときに、お年寄りの方々が歩かれる際に、ゆっくりと気をつけて歩かれているなと、私はわかってきましたから、次の乗り継ぎの電車などに乗り遅れてもいたしかたないなと、次の次の電車があるじゃないかとか、どうしても間に合いたい場合は、1本前のバスに乗るとか、限られた少額のお金で相談してタクシーを利用したりしてとか。想定外に渋滞などで遅くなった場合は、冷静になって仕方がないな、こういう時もあるんだな、と思えられるようになると良いとか。

あるいは、ならんでいる場合は、その時間を有効に使う方法や、一度深呼吸して周りの景色を見渡してみるとか、待っている時間だけでも少し休憩っぽいこと(目をつむって目や気や脳を休ませる工夫など、)をしてみるとか。

で、心のモヤモヤやイライラを静める、心の対応策を思って、お年寄りの方のお体やお気持ちを思ってみる、みんな多くの人が待っているから私も冷静になって、「待つ」という方が、少しでも柔らかい世の中になるのではないかなと思います。

それでも、何とか時間と金は結びついているから、為になるとか価値があるとかで、利便追求主義、ご都合主義と建て前主義とで成り立っている雰囲気は、私にとっても、ひょっとしたら?多くの人々にとっても、その果てに、より不便さが増しているのかもしれません。

目に見えない心の傷と向き合いながら、

先日は、心療科受診の日でした。カウンセリングと、常備薬の処方を定期的に受けています。その日も医院は、私を含めて他の患者さん達で多かったです。

ところで、最近ですが私は、外からは目に見えない自分の心の傷が、意外と大きいことを自覚し、心の傷と向き合いながら暮らしています。

心の傷つまり、専門用語で心的外傷(トラウマ)は、一度傷つき、でも大丈夫と、もっと頑張らなければと頑張って、よけいに傷が大きくなり、それの繰り返しで、大きくなってしまったんだなと、カウンセリングを通じてわかってきました。

それは、焦りや、情けなさを思うときがある中の私にとって、ややショックでもあり、なるほどなといった悟りと納得感でもあります。

目に見える傷があるところを、無視をしてよけいにさわったり労力したりすると、よけい傷がひどくなって、痛くなってしまうのと同じだなと思います。

カウンセリングでは、それを治したりして乗り越えるには、すぐにはできないとのこと。今後も、私は定期的に受診をしていかなければなりません。そして、心理的な様々のことを記していく予定です。